<< 2008年03月
12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31

福田総理、お見舞い行脚に思う

2008/03/02 18:35

 

 昼のNHKニュース。
 トップで報じられたのは、
 福田首相自らが、勝浦市の吉清治夫さん、哲大さん親子の留守宅を訪ね、留守家族の方々に、事故のおわびとお見舞い、そして再発防止を誓った、というニュースであった。
 一般受けするニュースなのだが、自分は「ちょっと違うんじゃないかな」というのが正直な感想であった。
 一国の総理が動く、というにはあまりに軽すぎた、他に「はるかに大事なことがあるはず」ではなかったか、と。

 戦前の東條英機首相、総理という重責のほかに、陸相、内務相、軍需相、さらには参謀総長を兼務した。その一事をとっても、前代未聞の超多忙の中にあったはずだ。
 しかし、それでも公務の時間をさいて、庶民のゴミ箱をあけて覗いて見て歩く、とか、火の見にあがっては暮らしぶりをおもんぱかったなど、一般受けすることを積極的におこない、同時に、写真入りで新聞で報道された。
 自分の両親やら、祖父母らはその報道を覚えていて、
 「東條さんはエラかった」
などと言っていたのを思い出す。
 なにしろ、A級戦犯に終身禁固、絞首刑の判決がくだされた当時、われわれ子供らは、意味も、何も知らないまま「稀代の悪人」と思い込んでいたのだが、それが「エラかった」では、わけが分からなかった。
 庶民の生活にそれだけ心を砕いたはずの、東條首相ではあったが、真に重要な局面では、なにひとつリーダーシップを発揮できなかった。
 本来、「日米戦を回避すべき立場」を了解して、首相になったはずであった。
しかし、肝心の人事一新すらできず、ずるずると引きずられて開戦に突入してしまう。
 開戦論者だったから、積極的に開戦に持っていった、というのは誤りである。真相は、自ら作ってしまった激流の中で、それにはかない抵抗を試みる一本の杭のように「周囲の強硬論」に引きずられてしまった、というものであろう。(猪瀬直樹著「空気と戦争」文春新書、P.146、読売新聞2006年8月15日付、朝刊12版、8面など)
 陸軍の南部仏印進駐にともなう米国の石油禁輸制裁で、窮地にたった日本は、南方資源獲得を実行しようとする。
 以前、陸相だった東條がその計画を聞かされた際、
「南方資源獲得は『泥棒せい、というわけだな』」(同書、P.69)とか、
日米間の経済格差は巨大であることを十分知悉していたにも拘わらず(同書、P.122)。
 戦時航空機生産をめぐるジュラルミン分配では、当時の戦況から、誰が見ても海軍機生産を最優先すべきだったのに、海軍、陸軍半々の分配にしてしまった。
 戦況極度に悪化後、その状況を説明し、なんとしても海軍機の必要を説いたとしても「もう、これは決まってしまったことだ」と応じなかった。
 海軍機の必要性を紙面で書いた東京日日新聞の新名丈夫記者は、懲罰招集され、戦地に飛ばされるというエピソードのオマケ、東條首相にまつわる話しとしてよく知られている。(読売同紙面)
  
 東條首相は、所詮、小心翼翼とした行動から、結果国を誤ったのではないか。

 同じことは、福田首相にも言える。
 今回のおわび行脚、悪いことではないかもしれないが、しかし、一国の総理がやらねばならないことだったか、疑問が残る。
 しかも、拉致被害家族に対するこれまでの態度などから、本心でお詫びに行ったとはとても思えない。
 なにしろ、福田首相は70年の内閣の歴史で、「公約、ビジョンがなく総理になった世界でも稀な例」('3/2付、「阿比留瑠比さんの『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』ブログ」による)と言われるほど、信念も何も無い。
 それもこれも、
 「小心さから出た行動」ならば、
日本の政治にとって、どんな禍根を残すことになるか?
を少しは考えただろうか、と言いたい。
 

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 指定なし

コメント(0)  |  トラックバック(0)

 
 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://iza38923.iza.ne.jp/blog/trackback/499481

トラックバック(0)